文化史シリーズ ①(原始・約1万年前〜3世紀)
なぜ土器の形がこんなに変わった?
ここが文化史のスタート地点
  • 文化史とは、その時代のくらし・信仰・技術が「かたち」になったもの。年号の暗記ではない。
  • 出発点は縄文文化(狩り・漁・採集)と弥生文化(米づくり)。
  • この2つを分けるカギは「食べ物をたくわえられるかどうか」。全時代を通じて使える見方。

?素朴な疑問

  • 縄文土器と弥生土器は、なぜ見た目がここまで違う?
  • 土偶と埴輪、銅鐸と鉄器——だれが何のために作った?
→ カギは「食料の取り方(とる暮らし か つくる暮らし か)」。
原始古代中世近世近代・現代縄文・弥生いまここ約1万年前〜3世紀古墳飛鳥白鳳天平弘仁・貞観国風院政期鎌倉北山東山桃山寛永期元禄化政明治大正戦後
とる暮らし
縄文=狩り・漁・採集。土器は厚手で縄目の文様、祈りは土偶。
つくる暮らし
弥生=稲作。土器はうすく高温で焼き、米は高床倉庫へ。
差が生まれる
たくわえ=富。貧富・身分の差、むらの争い、そして「くに」へ。
今日のルート:縄文=とる暮らしの土器と土偶 → 弥生=稲作の伝来と金属器 → 二つを真横に並べて対比
ゴール=縄文と弥生を「時代の名前」ではなく「くらしの違い」で説明できる
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① 背景 ―― なぜこの文化が生まれた?
なぜ米づくりが社会まで変えた?
食料を「たくわえられる」ようになったから
  • 縄文時代(約1万年前〜)は狩り・漁・採集。食料はためにくく、貧富の差は小さいむら社会だった。
  • 人々はたて穴住居に住み、食べかすを貝塚に捨てた(大森貝塚=モースが発見・東京)。
  • 紀元前4世紀ごろ、大陸から稲作金属器が伝わり弥生時代へ。
  • 米は高床倉庫にたくわえられる。→ たくわえの差が貧富の差になり、支配する者が生まれた
  • 水や土地をめぐる争いが起こり、環濠集落(吉野ヶ里遺跡)ができ、むら から くに へまとまっていく。
+高校遺跡=縄文は三内丸山遺跡(青森・大規模集落)、弥生は登呂遺跡(静岡・水田跡)・吉野ヶ里遺跡(佐賀)。風習=縄文は抜歯・屈葬、弥生は伸展葬・甕棺(かめかん)墓。縄文の黒曜石・ひすいの出土は遠距離交易のあかし。
「食べ方」が社会のかたちを決める
狩り・漁・採集(縄文)食料はためにくい・平等なむら稲作と金属器の伝来(弥生)大陸から水田の技術がとどく高床倉庫にたくわえる米=富。持つ者と持たない者身分の差・争いむら → くに(小国)へ文化のちがいは「くらしのちがい」から生まれる土器・住まい・墓・まつりが、まとめて変わる
この時代のおもな出来事
約1万年前
氷期が終わり日本列島がほぼ今の形に。縄文時代が始まる
前4世紀ごろ
大陸から稲作・金属器が伝わる(弥生時代へ)
前1世紀
『漢書』地理志=倭は100余国に分かれる
57年
奴国の王が後漢から金印を授かる(志賀島出土)
239年
邪馬台国の卑弥呼が魏へ使いを送る
縄文=とる暮らし、弥生=つくる暮らし。この差が、土器の形からまつりの道具まで全部を変えた。
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② かたちに見る ―― 建築・美術
土器・住まい・墓を見くらべる
縄文は「厚くて低温」、弥生は「うすくて高温」
  • 土器縄文土器=縄目の文様・厚手・黒褐色。低い温度で焼く。装飾的な火焔型土器が有名。
  • 土器弥生土器=うすくて文様が少ない・赤褐色。高い温度で焼き、米の煮炊き・貯蔵に使った。
  • 建築たて穴住居(縄文から続く住まい)/高床倉庫(弥生・ねずみ返しつき)。
  • 宗教土偶=縄文。女性をかたどり豊かな実り・安産を祈った(多くはこわされた状態で出土)。
  • 工芸銅鐸・銅鏡・銅剣・銅矛=弥生。青銅器はまつりの道具鉄器は実用の道具・武器
  • 縄文=屈葬(手足を折り曲げる)。弥生=甕棺墓や有力者の墳丘墓(→ 次の古墳へ)。
縄文土器と弥生土器(形のちがい)
縄文土器 弥生土器 厚手・黒褐色・縄目の文様 低い温度で焼く/煮炊き・貯蔵 うすい・赤褐色・文様は少ない 高い温度で焼く/米の煮炊き
縄文
縄文土器火焔型土器たて穴住居貝塚磨製石器土偶屈葬抜歯
弥生
弥生土器高床倉庫環濠集落銅鐸銅鏡・銅矛鉄器甕棺墓墳丘墓
遺跡
三内丸山=青森大森貝塚=東京登呂=静岡吉野ヶ里=佐賀板付=福岡
+高校(大学入試)青銅器の分布は近畿=銅鐸/北九州=銅矛・銅戈と圏が分かれる。弥生土器の名は東京都文京区弥生町の発見地に由来。稲作は板付遺跡(福岡)・菜畑遺跡(佐賀)など北九州から東へ広がった。
土器のうすさは焼く技術の進歩、青銅器はまつり、鉄器は実用。用途で覚えると混ざらない。
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③ ことばと心 ―― 文学・学問・宗教・芸能
文字のない時代を中国の歴史書で読む
中国の歴史書が伝える「倭(わ)」
『漢書』地理志(前1世紀)倭は100余国に分かれる『後漢書』東夷伝(57年)奴国の王が金印を授かる『魏志』倭人伝(3世紀)邪馬台国・卑弥呼が魏へ使い日本側の記録はまだ無い=「中国の史料で見た日本」が原始のすがた
日本にまだ文字はない。だから遺跡と中国の記録から読む
  • 宗教縄文=アニミズム(自然のあらゆる物に精霊が宿る)。土偶・抜歯もその表れ。
  • 宗教弥生=稲作のまつり。銅鐸には脱穀や狩りの絵が描かれ、当時のくらしがわかる。
  • 学問漢書』地理志=紀元前1世紀ごろ、倭は100余国に分かれていた。
  • 学問後漢書』東夷伝=57年、奴国の王が後漢の光武帝から金印を授かる(志賀島出土「漢委奴国王」)。
  • 学問魏志』倭人伝=3世紀、邪馬台国の卑弥呼が30ほどの国を従え、239年に魏へ使いを送った。
  • 生活身分が生まれ、指導者はまつり(呪術)で人々をまとめた。
中国の歴史書
『漢書』地理志『後漢書』東夷伝『魏志』倭人伝
キーワード
100余国奴国・金印邪馬台国卑弥呼親魏倭王鬼道
+高校(大学入試)卑弥呼は「親魏倭王」の称号と銅鏡100枚を与えられた。邪馬台国の位置は近畿説と九州説があり未決着。卑弥呼の政治は鬼道(呪術)による支配で、弟が政治を補佐したと『魏志』倭人伝は伝える。
弥生の終わりにはくにを従える王が現れた。その王の力を目に見える形にしたのが——次の古墳
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④ となりの時代とくらべる ―― 対比
縄文文化弥生文化はどう違う?
観点縄文文化弥生文化
時期約1万年前〜前4世紀ごろ前4世紀ごろ〜3世紀
食料狩り・漁・採集(とる)稲作(つくる・たくわえる)
土器厚手・縄目の文様・黒褐色
低温で焼く
うすい・文様が少ない・赤褐色
高温で焼く
住・倉たて穴住居/貝塚たて穴住居+高床倉庫
道具磨製石器・骨角器青銅器(まつり)・鉄器(実用
信仰・墓土偶・アニミズム/屈葬稲作のまつり・銅鐸/甕棺墓・墳丘墓
社会貧富の差は小さい身分の差・むらの争い → くに
境目はここ
縄文=とる弥生=つくる分かれ目は「稲作が伝わったか」だけ
まちがえやすい!
×
土偶=縄文の人形(女性)/埴輪=古墳時代に古墳の上に並べた焼き物。時代がちがう
×
銅鐸は武器ではなくまつりの道具。青銅器=祭器、鉄器=実用・武器。
×
貝塚は縄文、環濠集落は弥生。「争いのあと=弥生」と結びつける。

入試ではこう出る(対比の出題例)

迷ったら「これは とる暮らし? つくる暮らし?」と問い直す。ほとんどの選択肢はここで切れる。
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⑤ まとめ ―― ここが問われる
縄文・弥生の急所
ちがいの正体は「食料をたくわえられるか」。そこから土器・住まい・墓・まつり・身分まで、すべてが分かれた。

入試で問われる急所

  • 写真・図の判別が最頻出(縄文土器/弥生土器/土偶/銅鐸/高床倉庫)。
  • 記述「なぜ弥生時代に身分の差が生まれたか」→ 米をたくわえられるようになったから
  • 中国の歴史書3点(漢書・後漢書・魏志)と年号・国名のセット。
  • 遺跡と県名(三内丸山=青森/登呂=静岡/吉野ヶ里=佐賀/大森貝塚=東京)。

この文化はどこへつながる?

  • たくわえた富と力を「見える形」にしたのが古墳(→ 文化史②)。
  • 大陸との交流は渡来人が技術(須恵器・機織り・漢字)を運ぶ流れへ。
  • まつりの中心が青銅器 → 古墳・埴輪 → 仏教と移っていく。
この回の重要語(これだけは言えるように)
縄文
縄文土器土偶貝塚たて穴住居屈葬アニミズム
弥生
弥生土器高床倉庫銅鐸環濠集落甕棺墓邪馬台国卑弥呼

Q一問一答(答えは右)

1縄目の文様がついた厚手の土器は?縄文土器
2縄文時代のごみ捨て場の遺跡は?貝塚
3豊かな実りを祈った縄文の土製の人形は?土偶
4弥生時代に米をたくわえた倉庫は?高床倉庫
5まつりに使われた弥生の青銅器の代表は?銅鐸
6まわりを堀で囲んだ弥生の集落は?環濠集落(吉野ヶ里遺跡)
757年に金印を授けられた国は?奴国
8『魏志』倭人伝に登場する女王は?卑弥呼
9青森県にある縄文時代の大規模集落遺跡は?三内丸山遺跡
10静岡県にある弥生時代の水田跡の遺跡は?登呂遺跡
11卑弥呼が魏から与えられた称号は?親魏倭王
12手足を折り曲げて葬る縄文の埋葬法は?屈葬
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