文化史シリーズ ②(原始・3世紀後半〜7世紀)
なぜ巨大な墓を作った?
前回(縄文・弥生)のつづき
- 弥生時代の終わり、米のたくわえの差から王が生まれ、くに同士が争っていた。
- 3世紀後半、奈良盆地を中心に大和政権(ヤマト王権)が各地の豪族をまとめていく。
- その王の力を目に見える形にしたのが古墳——文化史では「墓が主役」の時代。
?素朴な疑問
- 王の墓が、なぜあんなに大きくなければならなかった?
- 埴輪は何のために古墳の上に並べられた?
→ カギは「力を見せつける墓(前方後円墳)と渡来人の技術」。
前方後円墳
円と方形を組み合わせた巨大な墓。同じ形が全国に=大和政権の広がり。
埴輪
古墳の上に並べた素焼き。円筒埴輪と、人・馬・家の形象埴輪。
渡来人
須恵器・機織り・鉄・漢字・儒教、そして仏教を運んだ人々。
今日のルート:なぜ巨大な墓か → 古墳と埴輪・副葬品 → 渡来人が運んだ技術と文字 → 弥生と対比
ゴール=古墳の形・副葬品の変化から「王の力の性格」の変化まで説明できる
① 背景 ―― なぜこの文化が生まれた?
なぜ大和政権は古墳を広めた?
古墳は「墓」であると同時に、力を示す装置だったから
- 3世紀後半、大和政権が奈良盆地に成立。大王(おおきみ)と豪族の連合政権だった。
- 同じ形の前方後円墳が九州から東北南部まで広がる=大和政権の勢力が広がった証拠。
- 古墳づくりには何万人もの人手が必要。人を動かせること自体が力の証明だった。
- 大王は氏姓制度で豪族を組織した(氏=一族、姓=地位を示す称号)。
- 朝鮮半島との交流で渡来人が来日し、須恵器・機織り・鉄器・漢字・儒教を伝えた。
+高校稲荷山古墳(埼玉)の鉄剣と江田船山古墳(熊本)の鉄刀に「ワカタケル大王」の名。=5世紀に大和政権の支配が関東から九州まで及んでいた物的証拠。中国の史料では『宋書』倭国伝の倭の五王(讃・珍・済・興・武)。
古墳が語ること
この時代のおもな出来事
3世紀後半
奈良盆地に大和政権。前方後円墳が各地へ広がり始める
5世紀
倭の五王が中国(宋)へ使い。ワカタケル大王の鉄剣・鉄刀
6世紀後半
横穴式石室・群集墳が広がる/蘇我氏と物部氏の対立
古墳文化は王の力を見せる文化。だから墓の大きさ・形・分布が、そのまま政治史の資料になる。
② かたちに見る ―― 建築・美術
古墳・埴輪・副葬品を読む
副葬品が「呪術の王」から「武人の王」へ変わる
- 墓前方後円墳=円形と方形を組み合わせた形。大仙古墳(大山古墳・仁徳天皇陵、大阪府堺市)は日本最大。
- 墓構造は前期=竪穴式石室、後期=横穴式石室(追葬ができる・家族の墓へ)。
- 工芸埴輪=古墳の上や周りに並べた素焼きの焼き物。円筒埴輪と、人・馬・家などの形象埴輪。
- 工芸副葬品は前期=銅鏡・玉・剣(司祭者的な王)→ 後期=馬具・武具・かんむり(武人的な王)。
- 工芸渡来人が伝えた須恵器(かたく灰色・のぼりがまで高温焼成)。従来の土師器(赤褐色)と対になる。
- 絵画九州・関東を中心に装飾古墳(石室内に円文・人物などを彩色)。
前方後円墳と埴輪
古墳前方後円墳大仙古墳竪穴式石室横穴式石室群集墳装飾古墳
副葬品前期=銅鏡・玉・剣後期=馬具・武具金銅製のかんむり
+高校(大学入試)古墳は前期(3C後半〜4C)=呪術的副葬品/中期(5C)=巨大化・武具馬具/後期(6〜7C)=群集墳・横穴式と推移。大仙古墳など百舌鳥・古市古墳群は2019年に世界文化遺産。畿内の大王墓が巨大化する中期は倭の五王の時期と重なる。
副葬品の変化=王の性格の変化。「祈る王」から「戦う王」へ。写真では埴輪と土偶を取りちがえない。
③ ことばと心 ―― 文学・学問・宗教・芸能
渡来人が運んだ文字・技術・信仰
大陸から来たもの
技術須恵器のぼりがま機織り(絹)鉄器の製法土木・かんがい
この時代に「文字」と「大陸の宗教」が日本へ入った
- 学問漢字が伝わり、記録や外交文書に使われ始めた(のちの日本語表記の土台)。
- 学問儒教を伝えたとされるのは百済の王仁(わに)。のちに五経博士も来日。
- 宗教仏教の公伝=百済の聖明王から。538年(一説に552年)。次の飛鳥文化の主役になる。
- 宗教古来の信仰も続く。自然や祖先をまつり、太占(ふとまに)・盟神探湯(くかたち)などの風習。
- 生活渡来人の技術=須恵器・機織り(絹)・鉄器の製法・土木。有力な氏族に秦氏・東漢氏。
- 宗教農耕のまつりが定着(春の祈年祭・秋の新嘗祭)。神社の起源につながる。
大陸から来たもの漢字儒教仏教(538/552)暦・医術須恵器
+高校(大学入試)仏教公伝の年は『上宮聖徳法王帝説』が538年、『日本書紀』が552年とする(史料によるちがい=大学入試頻出)。受容をめぐり崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が対立し、蘇我氏が勝ったことが飛鳥文化の前提になる。
文字と仏教が入った——ここで日本の文化は「記録できる文化」「寺院の文化」へ大きく舵を切る。
④ となりの時代とくらべる ―― 対比
弥生文化と古墳文化はどう違う?
| 観点 | 弥生文化 | 古墳文化 |
|---|
| 時期 | 前4世紀ごろ〜3世紀 | 3世紀後半〜7世紀 |
| 政治 | 小国が分立(100余国) | 大和政権が各地の豪族を統合 |
| 墓 | 甕棺墓・墳丘墓(小さい) | 前方後円墳(巨大・全国に同じ形) |
| 焼き物 | 弥生土器 | 埴輪/土師器・須恵器(渡来人) |
| まつり | 銅鐸など青銅器のまつり | 古墳のまつり・祖先の祭祀/のち仏教伝来 |
| 金属 | 青銅器=祭器、鉄器=実用 | 鉄製の武具・馬具が副葬品の主役に |
| 記録 | 文字なし(中国の史書のみ) | 漢字が伝わる(鉄剣銘・鉄刀銘) |
まつりの主役の交代
まちがえやすい!×
埴輪(古墳・素焼き・古墳の上)と土偶(縄文・祈りの人形)。3000年ほど離れている。
×
須恵器=渡来人の技術・高温・灰色でかたい/土師器=弥生土器の流れ・赤褐色。
×
前方後円墳の「前方」は四角い方。円い方(後円部)に棺を納める。
出入試ではこう出る(対比の出題例)
- 記述「古墳の分布から何が読み取れるか」→ 大和政権の勢力が広がったこと。
- 埴輪と土偶の写真判別(時代・目的・置かれた場所のちがい)。
- 鉄剣・鉄刀の銘文の資料+「この資料からわかることを書け」(関東〜九州に支配が及んだ)。
弥生=むらの文化、古墳=王の文化。主役が「共同体」から「支配者個人」へ移った。
古墳文化は「力を見せる墓」の文化。形・大きさ・分布・副葬品——すべてが政治の資料として問われる。
要入試で問われる急所
- 大仙古墳(大阪府堺市)=日本最大の前方後円墳は地図・写真で頻出。
- 記述「古墳から何がわかるか」→ 大和政権の勢力の広がり/王の強い力。
- ワカタケル大王の鉄剣・鉄刀(稲荷山=埼玉/江田船山=熊本)とその意味。
- 渡来人が伝えたもの(漢字・儒教・仏教・須恵器・機織り)は一問一答で必出。
次この文化はどこへつながる?
- 伝わった仏教が、次の飛鳥文化で寺院・仏像として花ひらく。
- 古墳づくりは7世紀に終わり、大王の権威は寺院で示すようになる。
- 渡来人の文字文化が、のちの古事記・日本書紀(天平文化)につながる。
この回の重要語(これだけは言えるように)
墓と焼き物前方後円墳大仙古墳埴輪土師器須恵器横穴式石室
政治・交流大和政権大王氏姓制度渡来人ワカタケル大王仏教公伝
Q一問一答(答えは右)
1円と四角を組み合わせた古墳の形は?前方後円墳
2日本最大の古墳とその所在地は?大仙古墳・大阪府堺市
3古墳の上に並べられた焼き物は?埴輪
4大和政権の王の呼び名は?大王(おおきみ)
5鉄剣・鉄刀に刻まれた大王の名は?ワカタケル大王
6渡来人が伝えたかたく灰色の土器は?須恵器
7儒教を伝えたとされる百済の人物は?王仁
8仏教が公式に伝わった年は?538年(一説に552年)
9古墳のまわりにめぐらせた水の施設は?濠(ほり)
10追葬ができる古墳後期の石室は?横穴式石室
11大和政権が豪族を組織した制度は?氏姓制度
12『宋書』倭国伝に見える5人の王は?倭の五王