文化史シリーズ ⑤(古代・8世紀(奈良))
なぜ大仏を作らねばならなかった?
前回(白鳳)のつづき
  • 白鳳文化で、仏教は国が管理するものになった。
  • 710年、都が平城京に移る。遣唐使が最盛期の唐(盛唐)の文化を持ち帰る。
  • そこに疫病・災害・反乱が重なる。聖武天皇は仏教の力で国を守ろうとした——それが天平文化。

?素朴な疑問

  • なぜ国家の予算を使って巨大な大仏を作った?
  • 正倉院に、なぜペルシアやインドの品があるのか?
→ カギは「鎮護国家(仏教で国を守る)と、シルクロードの国際性」。
原始古代中世近世近代・現代縄文・弥生古墳飛鳥白鳳天平いまここ8世紀(奈良)弘仁・貞観国風院政期鎌倉北山東山桃山寛永期元禄化政明治大正戦後
鎮護国家
仏教の力で国を安定させる。国分寺と大仏がその形。
国際性
盛唐+シルクロード。正倉院の宝物が西方から届いた。
記録の完成
古事記・日本書紀・風土記・万葉集がこの時代に成立。
今日のルート:聖武天皇の不安と大仏 → 東大寺・正倉院・仏像の技法 → 古事記・日本書紀・万葉集 → 白鳳と対比
ゴール=天平文化を「国際的で、国家の願いがこもった仏教文化」として説明できる
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① 背景 ―― なぜこの文化が生まれた?
なぜ聖武天皇は仏教にすべてを賭けた?
疫病と反乱で国がゆらぎ、頼れるものが仏教だったから
  • 710年 平城京に遷都。遣唐使がもたらす盛唐の文化が都に集まる。
  • しかし天然痘の流行・ききん・藤原広嗣の乱が続き、社会が動揺した。
  • 聖武天皇741年 国分寺・国分尼寺の建立を命じ、743年 大仏造立の詔を出す。
  • 752年 大仏開眼。この考え方を鎮護国家(仏教の力で国を守る)という。
  • 大仏づくりには民間で人気のあった僧行基が協力し、多くの民が資材と労働を提供した。
+高校聖武天皇は恭仁京・難波宮・紫香楽宮と都を転々とさせた(政情不安のあらわれ)。仏教政策には光明皇后が深く関与し、悲田院・施薬院を設けた。唐から鑑真が来日し(753)、正式な戒律を伝えて唐招提寺を開いた。
不安 → 仏教 → 大仏
平城京と遣唐使(710〜)盛唐の文化が流れこむ疫病・ききん・反乱国が大きくゆらぐ鎮護国家の政策国分寺(741)・大仏造立の詔(743)東大寺大仏の完成(752)行基・民衆の協力/国力を注ぐ天平文化=国家の願いがこもった仏教文化同時に、唐と西方の香りがする国際的な文化
この時代のおもな出来事
710年
平城京に都を移す
712年 / 720年
古事記』/『日本書紀』が完成
741年
国分寺・国分尼寺の建立を命じる
743年 → 752年
大仏造立の詔大仏開眼
753年
鑑真が来日(のち唐招提寺を開く)
天平文化は「国を守るための仏教」と「世界とつながる国際性」の2本立てで理解する。
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② かたちに見る ―― 建築・美術
東大寺・正倉院と仏像の技法
盛唐の様式+西方の文物。技法は塑像と乾漆像
  • 建築東大寺=大仏(盧舎那仏)をまつる。法華堂(三月堂)も天平の建築。
  • 建築正倉院校倉造。聖武天皇の遺品を納め、シルクロードの終着点とも呼ばれる宝物庫。
  • 建築唐招提寺金堂鑑真が開いた寺。天平の堂々とした姿を伝える。
  • 彫刻興福寺阿修羅像(八部衆像)=乾漆像。三面の若々しい表情で有名。
  • 彫刻東大寺法華堂不空羂索観音像(乾漆)/東大寺戒壇院四天王像(塑像)。
  • 彫刻唐招提寺鑑真和上像=日本最古の肖像彫刻とされる乾漆像。
  • 絵画正倉院鳥毛立女屏風薬師寺吉祥天像=ふくよかな唐風の女性像。
正倉院とシルクロード
正倉院=校倉造(あぜくらづくり) 三角の木材を組み、湿気を防ぐ高床 聖武天皇の宝物を1200年以上保存 正倉院の宝物が来た道(シルクロード) ペルシア インド 唐(長安) 遣唐使が運ぶ 五弦琵琶・漆胡瓶・ガラスの器 =天平文化の国際性のあかし 「シルクロードの終着点」と呼ばれる
建築
東大寺正倉院(校倉造)法華堂(三月堂)唐招提寺金堂国分寺
彫刻
阿修羅像鑑真和上像不空羂索観音四天王像塑像乾漆像
絵画・工芸
鳥毛立女屏風薬師寺吉祥天像五弦琵琶漆胡瓶ガラスの器
+高校(大学入試)技法=塑像(粘土)と乾漆像(麻布+漆)が天平の主流。金銅像中心の白鳳との違い。正倉院宝物の五弦琵琶・漆胡瓶はペルシア・インド系の意匠で、唐を通じた西方交流の証拠として頻出。
天平の美術=写実的でおおらか、そして国際的。技法は塑像・乾漆像と覚える。
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③ ことばと心 ―― 文学・学問・宗教・芸能
古事記・日本書紀・万葉集が生まれた
この時代に成立した本
『古事記』712年稗田阿礼が語り太安万侶が記す『日本書紀』720年舎人親王ら/漢文・年代順の国史『風土記』713年〜国ごとの地理・産物・伝説『万葉集』約4500首/防人歌・東歌もふくむ「国の記憶」を文字で残した最初の時代=天平文化のもうひとつの柱
国の成り立ちを記録し、歌を集めた時代
  • 文学古事記』(712)=稗田阿礼が語り太安万侶が書き記した。神話から推古天皇まで。
  • 文学日本書紀』(720)=舎人親王らが編さん。漢文・年代順の正式な国史。
  • 文学風土記』(713〜)=国ごとの地理・産物・伝説の報告書(出雲国風土記がほぼ完全に現存)。
  • 文学万葉集』=約4500首。天皇から農民まで幅広い。大伴家持が編さんに関わったとされる。
  • 文学防人歌・東歌=兵士や東国の人々の歌。万葉がな(漢字で日本語の音を表す)で記された。
  • 学問懐風藻』=現存最古の漢詩集。貴族の教養は漢文が中心だった。
  • 教育官人養成の大学(大学寮)・国学が置かれた。
歴史書
古事記(712)日本書紀(720)風土記(713)太安万侶稗田阿礼舎人親王
歌・漢詩
万葉集大伴家持防人歌東歌万葉がな懐風藻
宗教・社会
鎮護国家行基鑑真光明皇后悲田院国分寺
+高校(大学入試)『古事記』=変体漢文・神話中心、『日本書紀』=純漢文・編年体で対外向けという性格差を押さえる。『万葉集』の歌風は「ますらをぶり」と評され、古今和歌集(国風文化)の「たわやめぶり」と対にして問われる。
天平文化は国の歴史と、人々の歌を文字に残した時代。作品名と編者はセットで暗記する。
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④ となりの時代とくらべる ―― 対比
白鳳文化天平文化はどう違う?
観点白鳳文化天平文化
時期・都7世紀後半・藤原京8世紀・平城京
中心人物天武天皇・持統天皇聖武天皇・光明皇后
影響元初唐盛唐+シルクロード(西方の文物)
仏教国家仏教のはじまり鎮護国家(国分寺・大仏)
建築薬師寺東塔東大寺・正倉院・唐招提寺
彫刻の技法金銅像が中心塑像・乾漆像が中心
代表作興福寺仏頭・高松塚壁画阿修羅像・鑑真和上像
文学額田王・柿本人麻呂(歌)古事記・日本書紀・万葉集(本の成立)
国際性がひと段階上がる
白鳳=初唐天平=盛唐+西方正倉院の宝物がその証拠
まちがえやすい!
×
古事記=712年・変体漢文/日本書紀=720年・漢文の正史。年と性格をセットで。
×
万葉集=天平/古今和歌集=国風。「和歌集」でひとまとめにしない。
×
正倉院は校倉造。「寝殿造」「書院造」は平安・室町の建築で別物。

入試ではこう出る(対比の出題例)

白鳳と天平はどちらも国家仏教。区別は都(藤原京/平城京)技法(金銅/塑像・乾漆)で切る。
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⑤ まとめ ―― ここが問われる
天平文化の急所
天平文化=鎮護国家(大仏・国分寺)+シルクロードの国際性。国の歴史書もこの時代に完成した。

入試で問われる急所

  • 記述「大仏をつくった理由」=仏教の力で国を守るため(鎮護国家)は最頻出。
  • 正倉院=校倉造・シルクロードの終着点。宝物から国際性を説明させる。
  • 古事記(712)・日本書紀(720)・風土記(713)・万葉集の年と編者。
  • 鑑真=唐から戒律を伝え唐招提寺を開いた。行基=大仏造立に協力。

この文化はどこへつながる?

  • 寺の力が強くなりすぎ、794年 平安京へ都を移す(政治と仏教の距離を取る)。
  • 仏教の主役は国家仏教 → 密教へ(→ 文化史⑥ 弘仁・貞観文化)。
  • 漢文中心の教養が、やがてかな文字を生み国風文化へ向かう。
この回の重要語(これだけは言えるように)
建築・美術
東大寺大仏正倉院校倉造唐招提寺阿修羅像鑑真和上像乾漆像
文学・人物
古事記日本書紀風土記万葉集聖武天皇行基鑑真大伴家持

Q一問一答(答えは右)

1仏教の力で国を守る考え方は?鎮護国家
2741年に建立を命じた寺は?国分寺・国分尼寺
3大仏をまつる寺は?東大寺
4聖武天皇の宝物を納めた倉は?正倉院
5正倉院の建築様式は?校倉造
6唐から戒律を伝えた僧は?鑑真
7鑑真が開いた寺は?唐招提寺
8712年に完成した歴史書は?古事記
9720年に完成した歴史書は?日本書紀
10国ごとの地理・伝説をまとめた書は?風土記
11約4500首を収めた歌集は?万葉集
12三面の顔で有名な乾漆像は?興福寺阿修羅像
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