文化史シリーズ ⑥(古代・9世紀(平安初期))
なぜ寺が山の中に建てられた?
前回(天平)のつづき
  • 天平文化では、東大寺のような平地の大寺が国家の中心にあった。
  • ところが寺の力が強くなりすぎ、794年 桓武天皇は平安京へ都を移す(政治と仏教の距離を取る)。
  • すると新しい仏教が都をはなれ、山の中で修行する密教として現れた——弘仁・貞観文化。

?素朴な疑問

  • なぜ最澄と空海は、わざわざ山に寺を開いた?
  • 密教の仏像や絵は、なぜ複雑で神秘的なのか?
→ カギは「密教(加持祈祷)と、唐風の教養」。
原始古代中世近世近代・現代縄文・弥生古墳飛鳥白鳳天平弘仁・貞観いまここ9世紀(平安初期)国風院政期鎌倉北山東山桃山寛永期元禄化政明治大正戦後
密教
加持祈祷でわざわいを払う。天台宗(最澄)と真言宗(空海)。
山の寺
延暦寺・金剛峯寺・室生寺。自然の地形にそって建てる。
唐風の教養
漢詩文が全盛。書の名手=三筆。貴族の教養は漢文。
今日のルート:平安京と密教の登場 → 山岳寺院・一木造・曼荼羅 → 漢文学の全盛と三筆 → 天平と対比
ゴール=密教の2宗派を区別し、天平・国風とのあいだの位置を説明できる
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① 背景 ―― なぜこの文化が生まれた?
なぜ密教が貴族に広まった?
病気やわざわいを祈りで払う「ご利益」を求めたから
  • 794年 平安京に遷都。桓武天皇は奈良の大寺を平安京に移さず、仏教政治から距離を取った。
  • 最澄天台宗(比叡山延暦寺)、空海真言宗(高野山金剛峯寺)を開く。
  • どちらも唐で学んだ密教を伝え、加持祈祷で病気やわざわいを払うと説いた。
  • 貴族は現実の願い(病気平癒・出世・安産)のために密教を支持した。
  • 密教の修行は山でおこなう。だから寺は山岳寺院となり、建築も自然の地形にあわせた。
+高校最澄は『顕戒論』を著し大乗戒壇の独立を求めた。空海は『三教指帰』『十住心論』を著し、嵯峨天皇から教王護国寺(東寺)を与えられた。天台宗はのちに円仁・円珍が密教化を進める(台密/真言=東密)。
平安初期の二大宗派
平安京へ遷都(794)奈良の大寺と距離を置く最澄・空海が唐へ(804)密教を学んで帰る山に寺を開く延暦寺(比叡山)・金剛峯寺(高野山)貴族が加持祈祷を求める現実の願いにこたえる仏教国家のための仏教 → 貴族個人の願いのための仏教=弘仁・貞観文化の性格
この時代のおもな出来事
794年
平安京に都を移す(桓武天皇)
804年
最澄・空海が遣唐使とともに唐へ
805年 / 806年
最澄が天台宗空海が真言宗を伝える
816年
空海が高野山に金剛峯寺を開く
9世紀後半
貞観年間。密教美術と山岳寺院が広まる
弘仁・貞観文化は密教の文化。「国のため」から「貴族個人の願いのため」へ、仏教の役割が動いた。
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② かたちに見る ―― 建築・美術
山岳寺院と密教の美術
神秘的で力強い。一木造と曼荼羅が目印
  • 建築室生寺金堂・五重塔(奈良)=山の斜面に建つ山岳寺院の代表。自然と調和した配置。
  • 建築延暦寺(比叡山)・金剛峯寺(高野山)・教王護国寺(東寺)
  • 彫刻一木造=1本の木から彫り出す。量感があり神秘的。翻波式(波打つような衣のひだ)。
  • 彫刻元興寺薬師如来像観心寺如意輪観音像室生寺釈迦如来像
  • 絵画両界曼荼羅(教王護国寺)=密教の世界観を図で表す。不動明王などの明王・天部の像。
  • 絵画園城寺不動明王像(黄不動)=密教絵画の代表。
  • 工芸神仏習合が進み、神社の中に寺(神宮寺)、寺に神をまつるようになる。神像も作られた。
天台宗と真言宗のちがい
平安初期の二大宗派(どちらも山の中に開く) 天台宗 最澄(伝教大師) 比叡山 延暦寺(滋賀) 法華経を中心にすべてを学ぶ のちに多くの宗派の祖を輩出 =「日本仏教の母山」 真言宗 空海(弘法大師) 高野山 金剛峯寺(和歌山) 教王護国寺(東寺)を与えられる 加持祈祷・曼荼羅・三筆の書 =密教の中心 共通点=どちらも都をはなれ山に開く/貴族の願いにこたえる加持祈祷 天平の「平地の大寺・国家仏教」からの大転換
建築
室生寺金堂・五重塔延暦寺金剛峯寺教王護国寺(東寺)山岳寺院
彫刻
一木造翻波式元興寺薬師如来観心寺如意輪観音神像
絵画
両界曼荼羅黄不動(園城寺)不動明王明王・天部
+高校(大学入試)彫刻の技法は天平=塑像・乾漆 → 弘仁貞観=一木造 → 国風=寄木造と一直線に整理できる(頻出)。神仏習合の理論化として本地垂迹説(神は仏の化身)が生まれ、のちの日本の宗教の基本形になる。
この時期の美術は量感があり神秘的一木造・翻波式・曼荼羅の3語で判別できる。
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③ ことばと心 ―― 文学・学問・宗教・芸能
漢文学の全盛と三筆
弘仁・貞観文化の3本柱
密教加持祈祷貴族の願いにこたえる山の寺延暦寺・金剛峯寺室生寺/一木造・曼荼羅唐風の教養勅撰漢詩集三筆・大学別曹
貴族の教養は漢詩文。かな文字はまだ主役ではない
  • 文学勅撰漢詩集=『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』。天皇の命で漢詩を集めた。
  • 文学漢詩文の名手=嵯峨天皇・小野岑守・菅原道真ら。漢文が学問と教養の中心。
  • 学問三筆嵯峨天皇・空海・橘逸勢。空海の書『風信帖』が有名。
  • 教育有力貴族が一族のための寄宿舎大学別曹を設けた(藤原氏の勧学院、和気氏の弘文院など)。
  • 教育空海が綜芸種智院を開き、庶民にも教育の門を開いた。
  • 宗教密教の加持祈祷が貴族の生活に浸透。もののけ・けがれを恐れる考えも広がる。
  • 学問日本後紀』など六国史の編さんが続けられた。
漢文学
凌雲集文華秀麗集経国集菅原道真六国史
書・教育
三筆嵯峨天皇空海橘逸勢風信帖綜芸種智院大学別曹
宗教
密教加持祈祷神仏習合本地垂迹説神宮寺
+高校(大学入試)唐風文化の最盛期」がこの時期の特徴で、国風文化はその反動として理解する。三筆(弘仁期)と三跡(三蹟)=小野道風・藤原佐理・藤原行成(国風期)を混同しないこと。
弘仁・貞観は唐風がいちばん濃い時期。次の国風文化はここからの反転として起こる。
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④ となりの時代とくらべる ―― 対比
天平文化弘仁・貞観文化はどう違う?
観点天平文化弘仁・貞観文化
時期・都8世紀・平城京9世紀・平安京
仏教の性格鎮護国家(国のため)密教(貴族個人の願い・加持祈祷)
寺の場所都の中の平地の大寺山の中(山岳寺院)
宗派南都六宗(学問の仏教)天台宗(最澄)・真言宗(空海)
建築東大寺・正倉院・唐招提寺室生寺・延暦寺・金剛峯寺
彫刻塑像・乾漆像一木造・翻波式
絵画鳥毛立女屏風・吉祥天像両界曼荼羅・黄不動
文学古事記・日本書紀・万葉集勅撰漢詩集(凌雲集ほか)・三筆
仏教の役割が動いた
国のための仏教個人の願いの仏教だから寺は都から山へ移る
まちがえやすい!
×
三筆=嵯峨天皇・空海・橘逸勢(弘仁期)/三跡=小野道風ら(国風期)。
×
最澄=天台宗・延暦寺・比叡山空海=真言宗・金剛峯寺・高野山。人・宗派・山を3点セットで。
×
一木造は弘仁貞観、寄木造は国風(定朝)。技法で時代が判定できる。

入試ではこう出る(対比の出題例)

天平から弘仁・貞観への変化は「国」から「個人」へ、「平地」から「山」へ。この2語で説明できる。
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⑤ まとめ ―― ここが問われる
弘仁・貞観文化の急所
弘仁・貞観文化=密教と唐風の全盛。仏教が貴族個人の願いにこたえるものへ変わった。

入試で問われる急所

  • 最澄・空海の宗派・寺・山の3点セットは必出(表の穴うめ)。
  • 加持祈祷が貴族に支持された理由を書かせる記述。
  • 技法の流れ塑像・乾漆 → 一木造 → 寄木造で時代判定。
  • 三筆綜芸種智院(空海が庶民に開いた教育機関)。

この文化はどこへつながる?

  • 894年 遣唐使の停止(菅原道真)で唐風が薄まり、国風文化へ(→ 文化史⑦)。
  • 密教の加持祈祷は、やがて浄土信仰(極楽往生を願う)と重なっていく。
  • 神仏習合はこの後もずっと続き、明治の神仏分離まで日本の宗教の基本形になる。
この回の重要語(これだけは言えるように)
宗教
密教天台宗真言宗最澄空海延暦寺金剛峯寺加持祈祷神仏習合
美術・文学
室生寺一木造翻波式両界曼荼羅黄不動三筆凌雲集綜芸種智院

Q一問一答(答えは右)

1天台宗を開いた僧は?最澄
2天台宗の中心寺院と山は?延暦寺・比叡山
3真言宗を開いた僧は?空海
4真言宗の中心寺院と山は?金剛峯寺・高野山
5わざわいを払う密教の祈りは?加持祈祷
61本の木から彫る彫刻の技法は?一木造
7密教の世界観を図で表したものは?両界曼荼羅
8山の斜面に建つ奈良の寺は?室生寺
9書の名手3人を何という?三筆
10空海の書として有名な作品は?風信帖
11空海が庶民に開いた教育機関は?綜芸種智院
12神と仏をあわせてまつる考えは?神仏習合
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