文化史シリーズ ⑩(中世・14世紀末〜15世紀前)
なぜ金閣は階ごとに様式が違う?
前回(鎌倉)のつづき
  • 鎌倉文化では公家の文化と武家の文化が別々に並び立っていた
  • 南北朝の動乱のあと、足利義満1392年に南北朝を統一し、京都に幕府の力を集める。
  • 義満は将軍でありながら公家の最高位にも就く。公家文化と武家文化が溶け合う——それが北山文化。

?素朴な疑問

  • 金閣の一階と三階で、なぜ建築様式が違う?
  • なぜ将軍が、庶民の芸能だった猿楽(能)を保護した?
→ カギは「公家文化と武家文化の融合+禅(明との交流)」。
原始古代中世近世近代・現代縄文・弥生古墳飛鳥白鳳天平弘仁・貞観国風院政期鎌倉北山いまここ14世紀末〜15世紀前東山桃山寛永期元禄化政明治大正戦後
融合
金閣=下は寝殿造風、上は禅宗様。公家と武家が1つの建物に。
禅と明
五山の禅僧が政治・外交・文化を担う。日明貿易で唐物が入る。
能の大成
観阿弥・世阿弥を義満が保護。庶民の芸が芸術になった。
今日のルート:義満の権力と日明貿易 → 金閣・水墨画 → 能の大成と五山文学 → 鎌倉文化と対比
ゴール=金閣=融合の象徴と説明でき、北山と東山を混同しない
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① 背景 ―― なぜこの文化が生まれた?
なぜ義満のもとで文化が溶け合った?
将軍が公家社会の頂点にも立ち、禅と明の文化を取り込んだから
  • 1392年足利義満が南北朝を統一。太政大臣にもなり、武家と公家の両方の頂点に立った。
  • 義満は京都北山金閣(鹿苑寺)を建て、公家風と武家・禅風を1つの建物に重ねた
  • 幕府は臨済宗を保護し五山・十刹の制度を整える。禅僧が政治顧問・外交使節・文化の担い手になった。
  • 日明貿易(勘合貿易・1404)唐物(水墨画・茶器・書)が入り、上流の趣味になる。
  • 庶民の芸能だった猿楽・田楽を、義満が観阿弥・世阿弥を保護してへ高めた。
+高校京都五山=天龍寺・相国寺など。禅僧による五山文学(義堂周信・絶海中津)と五山版の出版が栄えた。この時期の禅は政治と一体(外交文書の起草も禅僧)で、のちの東山の「精神としての禅」とは役割が違う。
融合が起きたしくみ
南北朝の統一(1392)足利義満が全国の争いを収める将軍+太政大臣武家と公家、両方の頂点に立つ五山の禅と日明貿易禅僧が担い手/唐物が入る庶民の芸を保護猿楽 → 能へ(観阿弥・世阿弥)公家・武家・禅・庶民の芸が1つに混ざる=北山文化(金閣がその姿)
この時代のおもな出来事
1392年
足利義満が南北朝を統一
1397年
義満が北山金閣を建てる
1404年
日明貿易(勘合貿易)が始まる
1400年ごろ
世阿弥が『風姿花伝』を著す
15世紀前半
五山文学・水墨画がさかんになる
北山文化は公家+武家+禅の融合。義満という一人の人物の立場が、そのまま文化の形になった。
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② かたちに見る ―― 建築・美術
金閣と水墨画
1つの建物に3つの様式。絵は禅僧が描く水墨画へ
  • 建築金閣(鹿苑寺)=三層。一階=寝殿造風/二階=武家造風/三階=禅宗様。上2層に金ぱく。
  • 建築五山の禅寺が整備され、庭園も発達(西芳寺の苔庭)。
  • 絵画水墨画=墨の濃淡で描く。禅の精神と結びつき、禅僧が担った。
  • 絵画如拙瓢鮎図』=禅の問いを絵にした作品。周文明兆も活躍。
  • 絵画唐物宋元画が輸入され、鑑賞・収集された(会所に飾る)。
  • 芸能観阿弥・世阿弥父子が大成。能面を用い、幽玄の美を追う。
  • 芸能狂言=能の合間に演じるせりふ劇。庶民の日常や失敗を笑いにする。
金閣が語る「融合」
金閣=3つの様式を積み上げた建物 池(鏡湖池) 三階=禅宗様 二階=武家造風 一階=寝殿造風 上2層に金ぱくを張る(足利義満・北山) =公家文化と武家文化の融合そのもの なぜ融合したのか 公家 伝統・和歌 武家 禅・実力 足利義満 将軍+太政大臣=両方の頂点 +日明貿易の唐物・五山の禅 水墨画・能・五山文学が育つ =北山文化
建築・庭
金閣(鹿苑寺)寝殿造風禅宗様五山西芳寺会所
絵画
水墨画如拙『瓢鮎図』周文明兆唐物宋元画
芸能
観阿弥・世阿弥能面幽玄狂言猿楽田楽
+高校(大学入試)金閣は舎利殿で、義満の北山山荘の一部。三層それぞれの名は法水院・潮音洞・究竟頂。水墨画は北山で始まり、東山の雪舟で大成する——「始まり=北山/大成=東山」で区別する。
金閣=融合、水墨画=禅。北山文化の2つの柱をこの2語で押さえる。
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③ ことばと心 ―― 文学・学問・宗教・芸能
能の理論と五山文学
北山文化の3本柱
融合公家+武家金閣=三層の様式禅と明五山の制度水墨画・五山文学能の成立観阿弥・世阿弥風姿花伝/狂言
芸能に理論が生まれ、禅僧が漢文学を担った
  • 文学風姿花伝』(花伝書)=世阿弥が書いた能の理論書。「秘すれば花」。
  • 文学五山文学=禅僧による漢詩文(義堂周信・絶海中津)。五山版として印刷もされた。
  • 文学太平記』=南北朝の動乱を描く軍記物語。太平記読みによって語り広められた。
  • 文学神皇正統記』=北畠親房が南朝の正統を説いた歴史書。
  • 芸能連歌が広まり、二条良基が規則(式目)を定めて文芸として整えた。
  • 芸能茶の湯の源=闘茶(産地を当てる遊び)。やがて座敷での喫茶へ。
  • 生活唐物を飾る会所の座敷飾りが、のちの床の間の文化につながる。
文学
風姿花伝世阿弥五山文学五山版太平記神皇正統記北畠親房
芸能・生活
連歌二条良基闘茶会所座敷飾り唐物
宗教・政治
臨済宗五山・十刹日明貿易勘合足利義満
+高校(大学入試)『太平記』は南北朝の軍記、『神皇正統記』は南朝の正統論——動乱期の産物としてセットで覚える。世阿弥は『申楽談儀』も残した。連歌は東山の宗祇で大成する(北山=整備、東山=大成)。
芸能に理論が生まれ、文学は禅僧の漢文が中心。北山は「上流と禅」の文化。
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④ となりの時代とくらべる ―― 対比
鎌倉文化北山文化はどう違う?
観点鎌倉文化北山文化
時期・政治12世紀末〜14世紀・鎌倉幕府14世紀末〜15世紀前半・足利義満
公家と武家並び立つ(別々の文化)融合する(義満が両方の頂点)
外国(大仏様・禅宗の伝来)(日明貿易・唐物・宋元画)
宗教新仏教6宗が生まれる臨済宗と五山の制度(政治と一体)
建築東大寺南大門・円覚寺舎利殿金閣(三層に様式を重ねる)
絵画似絵・頂相・絵巻水墨画(如拙・周文)
芸能平曲(琵琶法師)能・狂言の成立(観阿弥・世阿弥)
文学平家物語・方丈記・徒然草五山文学・風姿花伝・太平記
担い手の位置が変わる
公家と武家は別公家と武家が融合義満が両方の頂点に立ったから
まちがえやすい!
×
金閣=北山・足利義満/銀閣=東山・足利義政。将軍名までセットで。
×
水墨画は北山で始まり(如拙・周文)、東山で雪舟が大成
×
能=歌と舞・幽玄/狂言=せりふ・笑い。同じ舞台でも役割が逆。

入試ではこう出る(対比の出題例)

北山文化=義満の融合の文化。「金・華やか・上流・禅」で東山と区別する。
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⑤ まとめ ―― ここが問われる
北山文化の急所
北山文化=公家文化と武家文化の融合(金閣)+禅と明の文化。能がこの時代に芸術になった。

入試で問われる急所

  • 金閣=足利義満・北山。銀閣との写真判別は毎年どこかで出る。
  • 観阿弥・世阿弥=能、『風姿花伝』=世阿弥の理論書。
  • 水墨画は禅僧が描いた。北山は如拙・周文、東山は雪舟。
  • 日明貿易(勘合貿易)と唐物が文化に与えた影響。

この文化はどこへつながる?

  • 応仁の乱(1467)で京都が焼け、簡素な東山文化へ(→ 文化史⑪)。
  • 水墨画は雪舟が大成し、連歌は宗祇が芸術に高める。
  • 座敷飾りの文化が書院造・茶の湯へ発展する。
この回の重要語(これだけは言えるように)
建築・美術
金閣鹿苑寺水墨画如拙瓢鮎図周文西芳寺唐物
芸能・文学
狂言観阿弥世阿弥風姿花伝五山文学太平記神皇正統記

Q一問一答(答えは右)

1北山に金閣を建てた将軍は?足利義満
2金閣がある寺の名は?鹿苑寺
3金閣の三階の様式は?禅宗様
4墨の濃淡で描く絵画は?水墨画
5『瓢鮎図』を描いた画僧は?如拙
6能を大成した父子は?観阿弥・世阿弥
7世阿弥が書いた能の理論書は?風姿花伝
8能の合間に演じるせりふ劇は?狂言
9禅僧による漢詩文の文学は?五山文学
101404年に始まった明との貿易は?日明貿易(勘合貿易)
11南北朝の動乱を描いた軍記は?太平記
12南朝の正統を説いた歴史書は?神皇正統記
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