文化史シリーズ ⑪(中世・15世紀後半)
なぜ銀閣に銀は張られていない?
前回(北山)のつづき
- 北山文化は義満の権力と華やかさの文化だった(金閣に金ぱく)。
- ところが応仁の乱(1467〜77)で京都は焼け野原になり、幕府の力は衰える。
- 将軍足利義政は東山に山荘を建てて引きこもる。派手さより簡素で深い美=わび・さび——東山文化。
?素朴な疑問
- なぜ「金閣」に対して「銀閣」に銀がないのか?
- なぜ水のない庭(枯山水)が美しいとされた?
→ カギは「応仁の乱後の簡素な美(わび・さび)と、地方・庶民への広がり」。
わび・さび
簡素・静けさの中に深さを見る美意識。枯山水・わび茶。
書院造
たたみを敷きつめ、床の間・障子・ふすま。いまの和室の原型。
地方と庶民へ
戦乱で公家や僧が地方へ。連歌・狂言・盆おどりが広がる。
今日のルート:応仁の乱と価値観の転換 → 銀閣・書院造・枯山水・雪舟 → 連歌・わび茶・地方の学問 → 北山と対比
ゴール=北山と東山を確実に区別し、書院造の特徴を説明できる
① 背景 ―― なぜこの文化が生まれた?
なぜ簡素な美が求められた?
京都が焼け、華やかさを支える力が失われたから
- 1467年 応仁の乱。11年の戦いで京都は焼け、幕府の権威は失われた(戦国の世へ)。
- 足利義政は政治から離れ、東山に銀閣(慈照寺)と東求堂を建てた。銀ぱくは張られていない。
- 文化の理想は簡素・静寂。禅の精神と結びついてわび・さびの美意識が生まれる。
- 公家や僧が地方の大名を頼って移住し、文化が地方へ広がった(山口=大内氏など「小京都」)。
- 庶民も担い手に。連歌・狂言・盆おどりなど、みんなで楽しむ芸能が定着した。
+高校東山文化の枠組み=禅の精神+庶民性+地方への普及。地方の学問=足利学校(上杉憲実が再興)、桂庵玄樹の薩南学派(薩摩)、一条兼良の古典学。惣村の成長も庶民文化の土台。
乱がもたらした転換
この時代のおもな出来事
1467〜77年
応仁の乱。京都が焼け、公家・僧が地方へ
1482年
足利義政が東山に山荘(銀閣)を造り始める
1495年
宗祇が『新撰菟玖波集』を編む(連歌の大成)
東山文化は「引き算の美」。乱で失われた華やかさの代わりに、簡素の中の深さを見つけた。
② かたちに見る ―― 建築・美術
書院造と枯山水、そして雪舟
いまの和室と日本庭園の原型がここで生まれた
- 建築銀閣(慈照寺)=二層。一階=書院造/二階=禅宗様。足利義政の山荘。
- 建築東求堂同仁斎=書院造の代表。たたみを敷きつめ、床の間・違い棚・障子。四畳半。
- 建築枯山水=水を使わず石と砂で水を表す庭。竜安寺石庭・大徳寺大仙院庭園。
- 絵画雪舟=明で学び日本の水墨画を大成。『秋冬山水図』『四季山水図巻』『天橋立図』。
- 絵画狩野正信・元信=狩野派のおこり。水墨画に大和絵の色彩を取り入れた。
- 絵画土佐光信=大和絵の土佐派。屏風・ふすま絵の需要が高まる。
- 芸能わび茶=村田珠光が始め、武野紹鴎が受けつぐ。花道=池坊専慶。
寝殿造 → 書院造 と 枯山水
建築・庭銀閣(慈照寺)東求堂同仁斎書院造床の間違い棚枯山水竜安寺石庭
絵画雪舟秋冬山水図四季山水図巻狩野正信・元信狩野派土佐光信
+高校(大学入試)書院造の要素=畳・床の間・違い棚・付書院・明障子・ふすま(寝殿造との差はここ)。雪舟は遣明船で渡り、帰国後は山口(大内氏の保護)を拠点にした=地方への広がりの実例でもある。
書院造・枯山水・雪舟——この3つがそろえば東山文化。今の和室はここから来ている。
③ ことばと心 ―― 文学・学問・宗教・芸能
連歌と狂言、そして地方の学問
東山文化の3本柱
庶民が作り手になり、学問が地方に根づいた
- 文学連歌=複数人で句をつなぐ文芸。宗祇が芸術に高めた(『新撰菟玖波集』)。
- 文学山崎宗鑑=こっけいな俳諧連歌(『犬筑波集』)。のちの俳句のもと。
- 文学御伽草子=『一寸法師』『浦島太郎』など庶民向けの短い物語。
- 芸能狂言が独立して発達。村では盆おどり・風流がにぎわう。
- 教育足利学校=関東の学問の中心(上杉憲実が再興)。地方の武士や僧が学んだ。
- 学問桂庵玄樹が薩摩で儒学を講じ薩南学派を開く。一条兼良は古典の学問を伝えた。
- 宗教浄土真宗(一向宗)が蓮如の布教で広がる(御文・講)。法華宗は京都の町衆に。
教育・学問足利学校上杉憲実桂庵玄樹薩南学派一条兼良
+高校(大学入試)連歌は北山=二条良基が式目を整備 → 東山=宗祇が大成 → 近世=俳諧(芭蕉)と一本の線でつながる。蓮如の講の組織はやがて一向一揆の力になる(文化と政治の接点)。
文化の作り手が庶民と地方にまで広がった。だから東山文化は「今の日本の生活文化の源」と呼ばれる。
④ となりの時代とくらべる ―― 対比
北山文化と東山文化はどう違う?
| 観点 | 北山文化 | 東山文化 |
|---|
| 時期・将軍 | 14世紀末〜15世紀前半・足利義満 | 15世紀後半・足利義政 |
| 背景 | 南北朝統一・幕府の全盛 | 応仁の乱で京都焼失・幕府の衰退 |
| 建築 | 金閣(三層・金ぱく・華やか) | 銀閣・東求堂(簡素)/書院造 |
| 美意識 | 華やかさ・権力の誇示 | わび・さび(簡素・静寂) |
| 庭園 | 池のある庭(西芳寺) | 枯山水(竜安寺石庭) |
| 絵画 | 水墨画の始まり(如拙・周文) | 水墨画の大成=雪舟/狩野派のおこり |
| 芸能 | 能の大成(観阿弥・世阿弥) | わび茶(村田珠光)・連歌(宗祇)・狂言 |
| 広がり | 京都の上流が中心 | 地方・庶民へ(足利学校・小京都) |
境目は応仁の乱
まちがえやすい!×
金閣=義満(北山)/銀閣=義政(東山)。孫と祖父の関係(義政は義満の孫)。
×
寝殿造はたたみを一部だけ/書院造は敷きつめる。ここが判別点。
×
雪舟=東山。「水墨画」だけで北山と答えないこと。
出入試ではこう出る(対比の出題例)
- 金閣と銀閣の写真判別+将軍名を答えさせる問題。
- 記述「書院造の特徴」→ たたみを敷きつめ、床の間・違い棚・障子を備える。
- 記述「枯山水とは」→ 水を使わず石と砂で水の流れや山を表した庭。
北山=足し算(融合と華やかさ)、東山=引き算(簡素と静けさ)。この一言で迷わない。
東山文化=応仁の乱ののち、わび・さびの簡素な美が地方と庶民へ広がった文化。和室の原型もここ。
要入試で問われる急所
- 銀閣=足利義政・東山。東求堂同仁斎=書院造。
- 記述「書院造の特徴」「枯山水とは」は定番。畳・床の間を必ず書く。
- 雪舟=水墨画の大成、『秋冬山水図』。
- わび茶=村田珠光(利休は桃山)。連歌=宗祇。
次この文化はどこへつながる?
- 戦国の世を経て、信長・秀吉の桃山文化へ(→ 文化史⑫)。
- わび茶は千利休が大成し、茶の湯が政治の場にもなる。
- 狩野派は桃山で狩野永徳の障壁画へ大きく飛躍する。
この回の重要語(これだけは言えるように)
建築・庭銀閣慈照寺東求堂同仁斎書院造床の間枯山水竜安寺石庭
美術・文学雪舟秋冬山水図狩野正信土佐光信わび茶村田珠光連歌宗祇御伽草子足利学校
Q一問一答(答えは右)
1東山に銀閣を建てた将軍は?足利義政
2銀閣がある寺の名は?慈照寺
3書院造の代表とされる建物は?東求堂同仁斎
4たたみを敷きつめた住宅の様式は?書院造
5石と砂で水を表す庭は?枯山水
6枯山水で有名な京都の石庭は?竜安寺石庭
7日本の水墨画を大成した画僧は?雪舟
8わび茶を始めたのは?村田珠光
9連歌を芸術に高めたのは?宗祇
10『一寸法師』などの庶民の物語は?御伽草子
11関東の学問の中心となった学校は?足利学校
12一向宗を全国に広めた僧は?蓮如