文化史シリーズ ⑬(近世・17世紀前半)
なぜ日光東照宮はきらびやかなのか?
前回(桃山)のつづき
- 桃山文化は、新しい支配者の富と力を見せる豪華な文化だった。
- 1603年 徳川家康が江戸幕府を開き、やがて鎖国が完成して南蛮文化は途絶える。
- 桃山の豪華さを受けつぎ、幕府の権威を示し、儒学で秩序をつくる——それが寛永期の文化。
?素朴な疑問
- なぜ家康の墓所を、あれほど豪華に飾ったのか?
- なぜ幕府は数ある学問の中から朱子学を選んだ?
→ カギは「幕府の権威(権現造)+朱子学の秩序+桃山の名残」。
幕府の権威
日光東照宮=権現造。家康を神としてまつり、力を示す。
朱子学
上下の秩序を説く学問を幕府が採用(林羅山)。
桃山の名残
狩野探幽の障壁画、俵屋宗達『風神雷神図屏風』。
今日のルート:幕府の確立と鎖国 → 日光東照宮と桂離宮 → 朱子学と仮名草子 → 桃山文化と対比
ゴール=寛永期を「桃山と元禄をつなぐ、幕府と上層の文化」として位置づけられる
① 背景 ―― なぜこの文化が生まれた?
なぜ幕府は朱子学を選んだ?
身分の上下を重んじる学問が、支配に都合が良かったから
- 1603年 徳川家康が江戸幕府を開き、武家諸法度などで大名を統制した。
- 家康は死後「東照大権現」としてまつられ、日光東照宮が建てられた(3代家光が大改築)。
- 幕府は朱子学(儒学の一派)を重んじた。君臣・父子の上下の秩序を説き、身分制度を支えたからである。
- 林羅山が家康以来の将軍に仕え、その子孫(林家)が幕府の学問を担った。
- 鎖国(1639 ポルトガル船来航禁止/1641 オランダ商館を出島へ)で、南蛮文化との縁は切れた。
+高校寛永期は桃山文化と元禄文化の橋渡し。建築は権現造(日光東照宮)と数寄屋造(桂離宮)という正反対の2つが同時に生まれた点が最大の特色。学問は朱子学のほか中江藤樹の陽明学(知行合一)も現れる。
幕府が文化に求めたもの
この時代のおもな出来事
1617年 → 1636年
日光東照宮の創建 → 3代家光が大改築
1639〜41年
鎖国が完成(出島のオランダ・中国のみ)
1657年
明暦の大火。江戸の町が焼け、再建で都市が広がる
寛永期は権威(東照宮)と洗練(桂離宮)が同居した時代。学問では朱子学が公式の地位を得た。
② かたちに見る ―― 建築・美術
権現造と数寄屋造
ど派手な東照宮と、簡素な桂離宮が同じ時代に建つ
- 建築日光東照宮=権現造。陽明門など極彩色の彫刻でかざる。徳川家康をまつる。
- 建築桂離宮=数寄屋造。茶室の要素を取り入れた、簡素で洗練された造り。修学院離宮も同系統。
- 絵画狩野探幽=幕府の御用絵師。二条城二の丸御殿の障壁画。狩野派が公式の画派になった。
- 絵画俵屋宗達『風神雷神図屏風』=大和絵の伝統に大胆な構図。のちの琳派の源流。
- 工芸本阿弥光悦=書・陶芸・蒔絵の総合芸術家(舟橋蒔絵硯箱)。鷹峯に芸術村を開いた。
- 工芸酒井田柿右衛門が赤絵を完成。有田焼(伊万里)は輸出品にもなった。
正反対の2つが同時に生まれた
建築日光東照宮権現造陽明門桂離宮数寄屋造修学院離宮二条城
絵画狩野探幽御用絵師俵屋宗達風神雷神図屏風琳派の源流
工芸本阿弥光悦舟橋蒔絵硯箱酒井田柿右衛門赤絵有田焼
+高校(大学入試)権現造は本殿と拝殿を石の間でつなぐ形式。数寄屋造は書院造に茶室の自由さを加えたもので、ブルーノ・タウトが桂離宮を絶賛したことでも知られる。俵屋宗達 → 尾形光琳(元禄) → 酒井抱一(化政)が琳派の系譜。
寛永期は「見せる建築」と「引き算の建築」が同居。どちらも江戸初期と答えられるように。
③ ことばと心 ―― 文学・学問・宗教・芸能
学問と出版のはじまり
寛永期の3本柱
秩序の学問(朱子学)と、庶民向けの読み物が芽ばえる
- 学問朱子学=宋の儒学。大義名分と上下の秩序を説き、幕府の支配を支える学問になった。
- 学問林羅山=家康に仕え、以後林家が幕府の学問を担当した。
- 学問中江藤樹=陽明学(知行合一=知ったことは行うべき)。「近江聖人」と呼ばれた。
- 文学仮名草子=かなで書かれた庶民向けの読み物。教訓と娯楽を兼ねた(→ 元禄の浮世草子へ)。
- 文学俳諧=松永貞徳の貞門派。まだことば遊びが中心(→ 元禄で芭蕉が芸術に)。
- 宗教寺請制度(宗門改め)で人々は必ず寺の檀家に。仏教は幕府の民衆管理に組みこまれた。
+高校(大学入試)朱子学が採用された理由を一文で書けるように=「身分の上下や主従の秩序を重んじる教えで、幕府の支配に都合が良かったから」。仮名草子は假名で書かれた読み物の総称で、井原西鶴の浮世草子はここから発展した。
寛永期の学問は秩序をつくる学問。文学はまだ助走で、次の元禄で一気に花が開く。
④ となりの時代とくらべる ―― 対比
桃山文化と寛永期の文化はどう違う?
| 観点 | 桃山文化 | 寛永期の文化 |
|---|
| 時期・政治 | 16世紀後半・天下統一 | 17世紀前半・江戸幕府の確立 |
| 担い手 | 新興の大名・豪商 | 将軍家・大名・公家・上層町衆 |
| 建築 | 城(天守)・茶室 | 権現造(日光東照宮)・数寄屋造(桂離宮) |
| 絵画 | 濃絵(狩野永徳) | 狩野探幽(幕府御用)・俵屋宗達 |
| 外国 | 南蛮=ヨーロッパと直接交流 | 鎖国で交流が断たれる |
| 学問 | とくに体系はない | 朱子学(林羅山)が公式の学問に |
| 宗教 | 仏教色がうすい | 寺請制度で仏教が民衆管理の道具に |
| 文学 | かぶきおどり・小歌 | 仮名草子・貞門俳諧(庶民向けの芽) |
豪華さの意味が変わる
まちがえやすい!×
権現造=日光東照宮(華麗)/数寄屋造=桂離宮(簡素)。同じ時期なので必ずセットで。
×
狩野永徳=桃山/狩野探幽=寛永。同じ狩野派でも時代が違う。
×
俵屋宗達=寛永/尾形光琳=元禄。琳派は2人セットで問われる。
出入試ではこう出る(対比の出題例)
- 日光東照宮の写真+「だれをまつる建物か」→ 徳川家康(東照大権現)。
- 記述「なぜ幕府は朱子学を重んじたか」→ 上下の秩序を重んじ、身分制度の支配に役立ったから。
- 桃山・寛永の作品を混ぜた時代の仕分け問題(永徳/探幽、利休/光悦)。
寛永期は江戸の入口。桃山の豪華さを引きつぎながら、幕府の秩序が文化に入りこんだ段階。
⑤ まとめ ―― ここが問われる
寛永期の文化の急所
寛永期=幕府の権威(東照宮)と朱子学の秩序。同時に桂離宮の簡素な美も生まれた。
要入試で問われる急所
- 日光東照宮=権現造・家康。写真と用語をセットで。
- 記述「朱子学が重んじられた理由」は定番。上下の秩序の語を必ず入れる。
- 俵屋宗達『風神雷神図屏風』と、のちの尾形光琳のつながり。
- 寺請制度=仏教が幕府の民衆管理に使われたこと。
次この文化はどこへつながる?
- 平和が続き、上方の町人が力をつけて元禄文化へ(→ 文化史⑭)。
- 仮名草子は浮世草子(井原西鶴)、貞門俳諧は蕉風(松尾芭蕉)へ発展する。
- 琳派は尾形光琳が受けつぎ、装飾美術の大きな流れになる。
この回の重要語(これだけは言えるように)
建築・美術日光東照宮権現造陽明門桂離宮数寄屋造狩野探幽俵屋宗達風神雷神図屏風本阿弥光悦
学問・制度朱子学林羅山陽明学中江藤樹仮名草子寺請制度鎖国
Q一問一答(答えは右)
1徳川家康をまつる日光の神社は?日光東照宮
2その建築様式は?権現造
3東照宮の代表的な門は?陽明門
4茶室の要素を取り入れた京都の離宮は?桂離宮
5その建築様式は?数寄屋造
6幕府が重んじた儒学の一派は?朱子学
7家康に仕えた朱子学者は?林羅山
8知行合一を説いた学問は?陽明学
9『風神雷神図屏風』を描いたのは?俵屋宗達
10幕府の御用絵師となった画家は?狩野探幽
11赤絵を完成させた陶工は?酒井田柿右衛門
12人々を寺の檀家とした制度は?寺請制度