文化史シリーズ ⑰(近代・1912〜1930年代)
なぜ文化が大衆のものになった?
前回(明治)のつづき
- 明治の文化は政府と知識人がひっぱる、上からの近代化だった。
- 大正になると義務教育がほぼ全員に行き渡り、都市に勤め人(サラリーマン)が増える。
- 読者と観客が一気に増え、文化が「大量に売れるもの」になる——それが大衆文化。
?素朴な疑問
- なぜこの時期に、雑誌が100万部も売れた?
- なぜ洋食や洋服が、ふつうの家庭にまで広がった?
→ カギは「教育の普及と、ラジオ・映画・安い出版というマスメディア」。
大衆文化
義務教育の普及で読者が激増。円本・岩波文庫・ラジオ。
モダン都市
サラリーマン・職業婦人・文化住宅・百貨店・カフェー。
大正デモクラシー
民本主義(吉野作造)・普通選挙。自由な空気が文化を支えた。
今日のルート:大衆が生まれたしくみ → モダン都市とメディア → 文学の多様化と大正デモクラシー → 明治と対比
ゴール=「大衆文化」の意味を、担い手とメディアの両面から説明できる
① 背景 ―― なぜこの文化が生まれた?
なぜ大衆という担い手が生まれた?
みんなが字を読め、安く本が買え、同じ放送を聞けたから
- 義務教育の就学率がほぼ100%に。新聞・雑誌の読者が急増し、大衆という読み手が生まれた。
- 1925年 ラジオ放送開始。円本(1冊1円)や岩波文庫で本が安く手に入るようになる。
- 都市化が進み、サラリーマン・職業婦人が増加。洋食・洋服・文化住宅・百貨店が広がった。
- 大正デモクラシー=吉野作造の民本主義、普通選挙法(1925)。自由な空気が文化を後押しした。
- 関東大震災(1923)の復興で、鉄筋コンクリートの建物と近代的な都市計画が進んだ。
+高校大衆文化の指標=雑誌『キング』(100万部)・円本・岩波文庫・ラジオ・活動写真(無声→トーキー)。学問では西田幾多郎『善の研究』(哲学)、柳田国男の民俗学(『遠野物語』)、河上肇『貧乏物語』。
大衆が生まれるしくみ
この時代のおもな出来事
1918年ごろ
吉野作造の民本主義が広まる(大正デモクラシー)
大衆文化とは「みんなが同じものを楽しめるようになった」文化。支えたのは教育とメディア。
② かたちに見る ―― 建築・美術
モダン都市とメディア
街も食卓も洋風に。娯楽は映画とラジオ
- 生活文化住宅(洋間つきの住宅)、百貨店、私鉄と郊外の住宅地。カフェーとモガ・モボ。
- 生活洋食(カレーライス・トンカツ・コロッケ)が家庭に。洋服が一般に広がった。
- 芸能活動写真(映画)=無声からトーキーへ。宝塚少女歌劇・浅草オペラ・流行歌。
- 出版円本・岩波文庫で本が安く。雑誌『キング』は100万部。ラジオが全国に情報を届けた。
- 絵画岸田劉生『麗子像』、横山大観『生々流転』(日本画)、竹久夢二の抒情画。
- 建築鉄筋コンクリートの建築が増える。同潤会アパート(震災復興)。
大衆とモダン都市
メディアラジオ(1925)円本岩波文庫雑誌キング活動写真トーキー新聞
モダン都市文化住宅百貨店カフェーモガ・モボサラリーマン職業婦人洋食
+高校(大学入試)「モガ・モボ」はモダンガール・モダンボーイの略。職業婦人(タイピスト・バスガール・電話交換手)の登場は、女性の社会進出と青鞜社(平塚らいてう)の運動と合わせて出題される。
大正の文化は都市・洋風・娯楽。今の日本の生活スタイルの多くがここで始まった。
③ ことばと心 ―― 文学・学問・宗教・芸能
文学の多様化と社会思想
大正・昭和初期の3本柱
人道主義から労働者の現実まで、書き手が広がる
- 文学白樺派=武者小路実篤・志賀直哉(『暗夜行路』)。人道主義・理想主義。
- 文学芥川龍之介『羅生門』『鼻』=理知的な短編。谷崎潤一郎=美を追う作風。
- 文学プロレタリア文学=小林多喜二『蟹工船』。労働者の過酷な現実を描いた。
- 文学大衆小説=吉川英治、中里介山『大菩薩峠』。児童文学=鈴木三重吉『赤い鳥』。
- 学問西田幾多郎『善の研究』(哲学)、柳田国男(民俗学・『遠野物語』)、河上肇『貧乏物語』。
- 思想吉野作造の民本主義、平塚らいてうらの青鞜社=女性解放運動。
文学白樺派武者小路実篤志賀直哉芥川龍之介羅生門プロレタリア文学小林多喜二蟹工船赤い鳥
学問・思想西田幾多郎柳田国男民俗学遠野物語河上肇吉野作造民本主義平塚らいてう青鞜社
社会大正デモクラシー普通選挙法関東大震災労働運動全国水平社
+高校(大学入試)民本主義は「主権の所在を問わず、政治の目的を民衆の利益に置く」考えで、主権在民を意味する民主主義とは区別される(天皇主権の憲法下だったため)。柳田国男の民俗学は、記録に残らない庶民の生活を対象にした点で文化史的にも重要。
この時期の文学は白樺派・芥川・プロレタリア・大衆小説の4系統で整理すると迷わない。
④ となりの時代とくらべる ―― 対比
明治と大正・昭和初期はどう違う?
| 観点 | 明治の文化 | 大正・昭和初期の文化 |
|---|
| 時期 | 1868〜1912 | 1912〜1930年代 |
| 担い手 | 政府・知識人(上から) | 大衆(都市の勤め人・学生・女性) |
| メディア | 新聞・雑誌の始まり | ラジオ・映画・円本=マスメディア |
| 性格 | 上からの近代化(欧化) | 下からの大衆化(娯楽と消費) |
| 思想 | 啓蒙(福沢・明六社) | 民本主義・社会主義・女性解放 |
| 生活 | 都市の一部が洋風に | 洋食・洋服・文化住宅が一般に |
| 文学 | 写実主義・自然主義 | 白樺派・芥川・プロレタリア・大衆小説 |
| 教育 | 学制で就学率を上げる段階 | 就学率ほぼ100%=読者層の完成 |
文化を動かす力の向き
まちがえやすい!×
民本主義(吉野作造)は民主主義そのものではない。天皇主権のもとでの考え方。
×
白樺派=人道主義/プロレタリア文学=労働者の現実。方向が正反対。
×
1925年はラジオ放送開始と普通選挙法の両方。年号がかぶるので注意。
出入試ではこう出る(対比の出題例)
- 記述「大衆文化が広がった理由」→ 教育の普及で読者が増え、出版が安くなり、ラジオが登場したから。
- 1925年に起きた2つのできごと(ラジオ放送・普通選挙法)。
- 文学の流派と作家の組み合わせ(白樺派/プロレタリア/大衆小説)。
明治=上からの近代化、大正=下からの大衆化。主語が「国」から「人々」へ移った。
⑤ まとめ ―― ここが問われる
大正・昭和初期の急所
大正・昭和初期=教育とマスメディアが生んだ大衆文化。今の生活様式の出発点でもある。
要入試で問われる急所
- 記述「大衆文化が生まれた理由」=教育の普及・安い出版・ラジオの3点。
- 1925年=ラジオ放送開始/普通選挙法。
- 吉野作造の民本主義と大正デモクラシー。
- 小林多喜二『蟹工船』=プロレタリア文学、芥川龍之介『羅生門』。
次この文化はどこへつながる?
- 戦争が近づくと言論と娯楽は統制され、文化は戦争に動員される。
- 敗戦後、日本国憲法のもとで自由が回復し、テレビの時代へ(→ 文化史⑱)。
- 大衆文化のしくみ(メディア+大量消費)は、そのまま戦後に受けつがれる。
この回の重要語(これだけは言えるように)
メディア・生活大衆文化ラジオ円本岩波文庫キング活動写真文化住宅百貨店モガ・モボ洋食
文学・思想白樺派志賀直哉芥川龍之介羅生門小林多喜二蟹工船赤い鳥吉野作造民本主義平塚らいてう柳田国男
Q一問一答(答えは右)
11925年に始まった放送は?ラジオ放送
2同じ年に成立した選挙の法律は?普通選挙法
31冊1円で売られた全集を?円本
41927年に創刊された文庫は?岩波文庫
5100万部を売った大衆雑誌は?キング
6洋間つきの新しい住宅を?文化住宅
7民本主義を唱えたのは?吉野作造
8青鞜社を結成した女性運動家は?平塚らいてう
9『羅生門』を書いたのは?芥川龍之介
10『蟹工船』を書いたのは?小林多喜二
11その文学の系統を何という?プロレタリア文学
12『遠野物語』で民俗学を開いたのは?柳田国男